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Mobility|欧州で進む、物流トラックへの水素の利活用

October 27, 2026

Industry Insights

「Industry Insights」は、CICで産業特化コミュニティを担当するメンバーが、それぞれの専門領域の動向や注目トピックを発信する記事シリーズです。ライフサイエンス、フィジカルAI&モビリティ、エネルギー&環境、フードなど、イノベーションが生まれつつある産業の最前線で、スタートアップや大企業、研究機関と日々向き合う中で得た知見や視点を現場からお届けします。新たなイノベーションを生み出すためのヒントとしてご活用ください。

 

Mobility #1

川端由美(Mobility Vertical Lead, CIC Catalyst APAC)

ドイツで見えた、商用車とエネルギーの新しい関係

水素は、本当に来るのか?

自動車業界で水素の話をすると、ここ数年、そんな問いを投げかけられることが増えた。
その答えを考えるうえで、今年のIAA Transportation 2026は興味深い場所だった。

IAA Transportationとは、2年に一度、ドイツのハノーバーで開催される欧州最大の商用車展示会で、市販車のモーターショーと決定的に違うのは、展示が「クルマ単体」で終わらないことにある。本年は「We Deliver」をテーマに9月15日~20日に開催された。
ドイツ・ハノーバーで開催されたIAA Transportationで、トヨタ自動車株式会社(以下、トヨタ)が打ち出したのは、単なる燃料電池車の新型モデルではない。

 

IAA 2026の会場で行われた記者発表の模様。ドイツ国交省大臣、ボルボ、ダイムラーと並んで、トヨタ自動車の技術部門を牽引する中島副社長が登壇した。

 

トヨタは大型商用車向けに第3世代の燃料電池システムを展開し、実際の物流環境で検証を進める。また、欧州の商用車メーカーと次世代燃料電池トラックの開発で協業する。そして注目されるのが、欧州の大型商用車メーカーとの連携を通じて、燃料電池システムそのものを商用車市場へ広げようとしていることだ。

ここには、トヨタの水素戦略の変化が見える。
トヨタは乗用車では「MIRAI」という燃料電池車を持っている。2020年の「MIRAI」の発表に際して、ハイブリッド車や水素燃料電池車などの電動車両をフルラインナップで揃えることが戦略として発表された。しかし、大型商用車については、自社でトラックそのものを大量に販売する事業基盤を持っているわけではない。

ならば、どうするか。
車両ではなく、燃料電池システムを供給する。トヨタは第3世代燃料電池システムについて、商用車への搭載を前提に、耐久性や燃費の向上を進めている。さらに、トヨタ以外の商用車メーカーにも燃料電池システムを供給することで、水素モビリティの普及を加速させようとしている。

今回の欧州メーカーとの連携は、その考え方を一段進めるものだ。
トヨタが持つのは燃料電池という「心臓部」。一方、欧州の大型商用車メーカーが持つのは、大型トラックの商品開発力、物流事業者との顧客接点、そして実際の輸送現場である。「トヨタが燃料電池をつくる」だけではなく、それを大型商用車メーカーの車両に搭載し、実際の物流現場で使う。水素を研究テーマから、量産商用車の技術へと移していく。そのための動きと見ることができる。

 

電気自動車(=BEV)だけではない、商用車の電動化

IAAの会場を歩いて感じるのは、各社が用途によって技術を使い分けようとしていることだ。

商用車の電動化も進んでいる。しかし、すべてがBEVになるわけではない。
比較的短い距離を走り、決まった拠点に戻ってくる配送トラックや都市内物流では、BEVが有力な選択肢になる。夜間に営業所で充電し、日中に配送する。走行距離が限定され、充電場所を確保しやすい用途なら、バッテリーの重量や充電時間という問題も相対的に小さくなる。

一方で、国境を越えて長距離を走る大型トラックでは事情が違う。
長距離輸送では、数百km、場合によってはそれ以上を連続して走る。ここで大量のバッテリーを積めば、その分だけ車両重量や積載量に影響する。さらに、大型バッテリーの充電には、十分な電力容量と時間が必要になる。だからこそ、車両が大型になり、走行距離が長く、稼働率が高くなるほど、水素が選択肢として浮上してくる。燃料電池トラックなら、水素から電気をつくり、モーターを駆動する。用途や車両仕様によっては、BEVに比べて、エネルギーを搭載するための重量や補給時間を抑えられる可能性がある。

そしてもう一つ、ドイツで見えてきたのが、水素を燃料電池だけでなく、内燃機関で使う可能性だ。
水素内燃機関は、燃料電池のように水素から電気をつくるのではなく、水素を直接エンジンで燃焼させる。エンジンという既存技術を活用できるため、特に大型商用車や特殊用途では、燃料電池とは異なる選択肢になり得る。こうして見ると、商用車の電動化では、用途によって最適な技術が変わる可能性がある。

近距離・都市内・定路線 → BEV
長距離・大型・高稼働率 → 水素燃料電池/水素内燃機関

もちろん、これは単純な線引きではない。
バッテリー性能や充電インフラ、水素価格、車両価格、輸送ルート、積載量などによって、その境界は変わる。

しかし、少なくともIAA 2026で感じたのは、「商用車をすべてEVにする」という単純な未来像ではなかったことだ。
むしろ、商用車の電動化が進めば進むほど、バッテリーと水素の役割分担が重要な議論になっている。

 

トヨタが持つ「心臓部」

この視点に立つと、トヨタがなぜ大型商用車メーカーと組もうとしているのかも分かりやすくなる。

トヨタは大型トラックを主力商品として持っているわけではない。しかし、燃料電池という「心臓部」を持っている。そこで、大型トラックの商品力、物流事業者との顧客接点、そして実際の輸送現場を持つ欧州の大型商用車メーカーと組む。トヨタが持つ燃料電池技術と、欧州メーカーが持つ大型商用車のノウハウを組み合わせることで、水素を「自動車メーカーの研究テーマ」から「商用車の量産技術」へと変えていく。

この取り組みが見据えているのは、ドイツのエネルギー政策だ。

 

石炭火力の跡地で始まる、水素の製造

IAAの取材を終え、私はハンブルクへ移動した。
そこで訪れたのが、かつて石炭火力発電所だったモールブルクの現場だ。

ここには2015年に稼働を開始し、2021年に閉鎖された、わずか6年間のみ稼働したヨーロッパ最大級かつ最新鋭だった石炭火力発電所があった。その跡地で現在、Hamburg Green Hydrogen Hub、通称HGHHのプロジェクトが進められている。目の前で進んでいたのは、石炭を燃やして電気をつくっていた場所を、再生可能エネルギー由来の電力を使って水を電気分解し、水素をつくる場所へと転換する取り組みだった。

現場に立つと、このプロジェクトが単なる「環境対策」ではないことが分かる。
ドイツにとって、水素はエネルギー安全保障の問題でもある。ロシアからの天然ガスは、かつてドイツの産業を支える重要なエネルギー源だった。しかし、ロシアによるウクライナ侵攻を契機に、その前提は大きく変わった。
また、鉄鋼、化学、物流、港湾など、電気だけでは脱炭素化が難しい産業がある。ドイツの産業が必要としているのは、単なる「ガスの代わり」だけではなく、安全が保障されたクリーンなエネルギーだ。

そこで水素という案が浮上する。特に大型商用車は、その接点になり得る。
電力をそのままバッテリーに蓄えることが合理的な領域ではバッテリーを使う。一方、非合理な場合は、再生可能エネルギー由来の電力を水素に変え、それを大型トラックや産業用設備に供給する。ドイツにとって水素は、「バッテリーだけでは対応しにくい領域を補完するエネルギーキャリア」として位置づけられている。

 

「鶏と卵」をどう解くか

ここで「鶏と卵」の問題を考えてみよう。

水素ステーションがなければ車は増えない。車が増えなければ水素ステーションへの投資も進みにくい。
水素の設備がなければ水素需要は高まらない。水素の需要がなければ、水素をつくる設備にも投資しにくい。

しかし、ハンブルクで見たのは、水素の生産から運搬、消費までの循環を産業政策と民間投資によって一気につなごうとする姿だった。水素をつくる。運ぶ。港湾や工場で使う。そして大型トラックでも使う。そのために、政府や自治体、エネルギー事業者、物流事業者、車両メーカーなどが、それぞれの役割を担う。ここに、欧州の大型商用車メーカーが水素商用車を育てようとする理由がある。

そして、その中にトヨタが入る。
トヨタにとっては、大型トラックという商品を自ら育てる必要はない。欧州の大型商用車メーカーが持っている。そのために、トヨタは燃料電池という基幹部品を供給する。燃料電池システムを量産し、搭載車両を増やすことで、量産効果によるコスト低減が期待できる。車両の普及が進めば、水素ステーションや水素製造設備への投資を促すことにもつながる。かつての「水素ステーションがないから車が売れない、車がないから水素ステーションができない」という「鶏と卵」の関係を、産業全体で変えようとしているのである。

もちろん、水素がすぐに普及するわけではない。
水素の製造コスト、輸送、貯蔵、充填インフラ、再生可能エネルギーの確保など、解決すべき課題はまだ多い。それでも、ハノーバーとハンブルクを続けて取材すると、一つの変化が見えてくる。ハノーバーでは、トヨタが「水素を使う大型商用車」の心臓部を供給しようとしていた。ハンブルクでは、かつて石炭を燃やしていた場所が「水素をつくる場所」へと変わろうとしていた。そして、その間を結ぶのが、大型商用車という巨大なエネルギー消費者である。近距離はBEV。長距離・大型輸送では水素燃料電池も選択肢になる。その境界は今後も変化するだろう。

しかし、商用車の電動化は「BEV vs 水素燃料電池」という勝敗の話ではない。
どの距離を走るのか。どれだけの荷物を運ぶのか。どれだけ稼働するのか。そして、その地域でどんなエネルギーを調達できるのか。それぞれの条件に合わせて、エネルギーを使い分ける時代に入っている。トヨタが欧州の大型商用車メーカーとの連携を強める意味も、そこにある。「水素の車を売る」のではなく、水素を使う商用車という市場の形成に関わる。その市場ができれば、トヨタは大型トラックを自社でつくらなくても、燃料電池という「心臓部」を供給できる。かつてトヨタの中で語られていた「燃料電池を自社のクルマだけでなく、外販していく」という構想が、欧州の大型商用車メーカーとの連携によって、産業モデルとして動き始めている。

 

ハノーバーのIAAとハンブルクの旧石炭火力発電所。一見すると、まったく別の場所に見える。
しかし、その二つをつなぐと見えてくるのは、自動車の電動化だけではない。エネルギーそのものの転換である。
そして、その転換の最前線にいるのが、乗用車ではなく、むしろ大量のエネルギーを使って走り続ける大型商用車なのかもしれない。

 

Photo=川端由美
Report=川端由美

 

about 川端由美 (Mobility Vertical Lead, CIC Catalyst APAC)

これまで、自動車・環境分野を専門とするジャーナリストとして、技術の進化が産業や社会をどう変えていくのかを取材してきました。大学院で工学を修め、財閥系大手メーカーでエンジニアとして開発・設計に携わった後、ジャーナリズムや経営コンサルティングの分野へと活動の幅を広げてきました。現在は、CIC Catalyst APACのMobility Vertical Leadとして、大企業、スタートアップ、投資家、研究機関、行政など、多様なプレイヤーをつなぎ、モビリティ分野における新たな協業や事業創出を支援しています。